2023/06/09
その他

神々の宿る地 出雲

こんにちは!
予告通り出雲に行ってきました。どうして出雲かって、出雲の地が私達を呼んでいたんですね(笑)

今回は、ちゃんとJALで行きましたよ。“キャンペーンの安売りで行ったんだろ”って。
大当たり!!
搭乗しようとしたらアナ雪にデコレーションされた機体が駐機しています。

ばぁばのテンションが上がります。
機内でコーヒーをいただいている間に出雲空港に到着です。

出雲空港に初めて降り立ちました。

いつも通りレンタカーを借りて、松江市内を目指します。

出雲大社じゃないのかって。
まずは、お昼を食べないと。松江市内の皆美館を目指します。皆美館は、皇族の方や芥川龍之介、川端康成など多くの文人墨客に愛された宿泊施設です。そこで、運営されている庭園茶寮みな美でお昼をいただきます。いつも通り食べることからスタートです。
レストランに到着し、予約したじぃじですと告げるとお席に通されました。
素敵な庭園です。

そして、私たちが頼んだのが、鯛めし御膳と鰻まぶし御膳です。



いや~、美味しかった!
両方の味を堪能した後、お庭へ出てみます。
二人で記念撮影。



今度こそ、出雲大社を目指します。
宍道湖がきれいですね。

まずは出雲大社の前に、神様方が降りたったといわれる稲佐の浜です。

そして、ここから出雲大社へ向かいます。
みなさんが良くご存じの大きなしめ縄の建物、こちらが神楽殿です。

まずは、拝殿でお参りを済ませ、西十九社の前を進み、本殿の裏に出ます。
西十九社と反対側の東十九社は、神様方が出雲にお集まりになられた時のお泊りになられるところです。

裏手に出ると素鵞社(そがのやしろ)が在りました。素戔嗚尊(すさのおのみこと)をお祭りする社です。

お参りを済ませ、稲佐の浜で採ってきた砂をお納めし、素鵞社に納められている砂をいただいてきました。

そして、東十九社の前を通り、本殿正面の八足門へ。
こちらでもお参りを済ませ、記念撮影。



このご本殿には、西向きに大国主命がお祭りされているそうです。また、素戔嗚尊の娘とされる須勢理毘売命(すせりひめのみこと)や多紀理比売命(たぎりひめのみこと)なども摂末社にお祭りされております。
ここで系図を記載しておきますね。


大国主命は、素戔嗚尊の娘である須勢理毘売命を妻に迎えました。大国主命も素戔嗚尊と櫛名田比売の系列のようです。日本書紀や古事記、出雲風土記にいろいろ記載されていますが、1人の人が何回も改名したり、諸説色々あるので諸説の一つとさせていただきます。

またこの時代は、結婚という概念が無いのでたくさんの奥様を迎えたようです。須勢理毘売命の他にも八上比売(やがみひめ)、沼河比売命(ぬなかわひめのみこと)、三穂津姫命(みほつひめのみこと)など。この婚姻の中で三穂津姫命との間に生まれたのが、事代主命(ことしろぬしのみこと)、恵比寿様とも言われている方です。この美穂津姫命と事代主命をお祭りしているのが、明日お参りする予定の美保神社です。

違う名前で書かれていたり、いろいろな系図が有ったりで、頭の中がぐちゃぐちゃになりそう!!

平成12年から13年にかけて八足門近くで巨大柱が発見されました。直径1.35mの巨木を3本束ねて1つの柱にしてありました。御本殿を支えた「心御柱」と「宇豆柱」がともに発見されました。

宇豆柱

平安時代の頃には約48mあったと伝えられ、平安時代中期の貴族の子弟の教科書『口遊(くちずさみ)』には、雲太(うんた)、和二(わに)、京三(きょうさん)という言葉が記されており、これは当時の建物の高さベスト3を表していると言われています。

平安時代の出雲大社

「雲太」とは出雲大社本殿、「和二」は東大寺大仏殿、「京三」は京都御所の大極殿を示し、当時、出雲大社の本殿が日本一の高さだったことがうかがえます。そして、写真の御殿が国譲りの代わりに建設してもらったものだそうです。
いや~、疲れました(笑) 宿へ行きましょう!!

壮大な出雲大社に別れを告げて、本日のお宿へと向かいます。
泊めていただくのは、古代ロマンの宿「松園」さんです。

何といっても食事が楽しみです。なぜかって、本日の夕飯は“弥生時代の食事”なんです。オーナーさんが、文献を紐解き再現してしまったんです。

その前にお風呂に入って、じょんのびじょんのび。


お食事の前にオーナーが説明してくださいます。
そして、当時着ていただろう布を着せていただきました。


さあ、食事の始まりです。

右から雉肉、猪肉と焼栗。
甘鯛の湯引きと鯵の酢締め、金目鯛のお造り、
すずき、里芋、蓮根、蕨、よおめな。手前が、ゴボウ、しめじ、椎茸、みつば。
きび、粟(あわ)、稗(ひえ)、醍醐にのびる。そして、黒米酒。

のどぐろ、ばい貝、鰤卵、白子、赤貝、ひじき。

そして、盃に入っているのが蘇(そ)です。
牛乳を煮詰めてゆくと蘇になり、それをさらに煮詰めると醍醐になります。
他にもたくさん出ましたが、書ききれないので止めます。
あとは、楽しく酔うだけです(笑)

おはようございます。
本日も良い天気です。まずは、朝ごはんです。

ばぁばも楽しそうです。

こんなに沢山のおかずがあると食べ切れないので、ご飯の上に乗せてしまいました(笑)

出発前に弥生時代の宿泊施設を案内していただきました。この施設に泊まれるんですよ。
次回来たら泊まってみいたいと思います(笑)


オーナーとも記念撮影。この屋根の茅を一部葺き替えただけで3千万円もかかったそうです。職人さんがいないので、白川郷から来てもらって、1か月かかったそうです(驚)

オーナーに別れを告げて、オーナー推薦の荒神谷史跡公園へ。
荒神谷遺跡では、銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本が出土しています。特に、銅剣の358本は、これまで日本で見つかった全ての銅剣の本数を合わせてもかなわない本数です。ここに力のある大きな国が存在していた証ですよね。ロマンが掻き立てられます。



遺跡を見学した後は、美保神社に向かいます。昨日、ご紹介した三穂津姫命と事代主命をお祭りする神社です。

天照大神の使いから国を譲るようにたずねられた大国主命は、美保に住む息子の事代主命に聞いてご返事しましょう。そして、たずねられた事代主命は、「この国は天津神(あまつかみ)の御子に奉り給へ」と答えたので、大国主命はこの国を皇孫に奉献しました。これが、有名な国譲りの一話です。

鳥居をくぐって本殿へと向かいます。

こちらも立派な神社です。

もちろん、お参りをさせていただきました。
そのあと、松江観光協会の美保関町支部で資料をいただいてびっくり!!
事代主命の神紋が左三つ巴なんです。家の家紋と同じなんです。

やはりご縁があったんですかね(笑)
お参りも無事に済ませ、今度は境港を目指します。
もちろんお昼とMIZUKI ROADです。

調べたお店はお休みの連続(悲) そこで、地元の方から情報を入手。
車を駐車場に預けて行ってみるとやってました。イェーイ!!

海月丸(かつきまる)さんへ。写真では準備中となっていますが、食べて出てきた後の写真ですからね(笑)

店内はこんな感じです。

そして頼んだのが、“てっぺん海鮮丼” 2970円

カニだけじゃなくて、お魚も新鮮でおいしい!
この値段でも十分満足できます。
お会計の時に、GWはどうでしたかと尋ねると、“コロナ前を越えました”と力強いお言葉。
お昼は2時までなのが、お客さんが並んでいて3時まで開いてしまったそうです。
本当にすごいですね。それで、他のお店はお休みにしちゃったんですね(笑)
ただし、流れていた音楽は”美空ひばりの柔”と”美川憲一の柳ヶ瀬ブルース”。
50年もタイムトリップしてしまいました(笑)

お腹も膨れた後は、MIZUKI ROADへ。

居ました、居ました。
目玉の親父。

ぬりかべに猫娘、こなきじじい。



こんなバスも走ってますよ。


お待たせしました、真打搭乗。鬼太郎です。二人とも記念撮影。


ついでに、びびびのねずみ男も。

お土産を買って、MIZUKI ROADにお別れを告げて、本日のお宿に向かいます。
今夜は、玉造温泉の「千代の湯」さんです。


八岐大蛇の伝説の残る地ですから、欄干にこんな物がありました。
素敵ですよね。

お部屋は4階ですが、エレベータがありません(悲)
毎回、人力で上がります。
お部屋は、シンプルなこんな感じ。

夕飯はこんな感じです。

ばぁばが、お品書きを見ながらチェック(笑)

美味しくいただき今宵も暮れてゆきます。

最終日は、朝一の便なので朝食を済ませたら、直ぐ空港へ向かいます。
まずは、朝食を見せましょうね。シンプルに美味しくいただける内容でした。

そして、食事を済ませるとレンタカーを返却して空港へ。
空港で記念撮影!!

次回は、西伊豆のきれいな海をご紹介する予定です。
西伊豆から南伊豆にかけては、じぃじが40年以上もシュノーケリングするために通い続けた海です。初めて泊まる旅館なので、期待しちゃいます。なにせ岩場のプライベートビーチを持っているんですよ。
それでは、またねー。

ポンコツ調査隊
ポンコツ調査隊
沖縄だーい好きなじぃじとばぁばです。ふたりとも食べることも大好き。じぃじは好奇心旺盛で、何でも興味を示します。ばぁばは、恐竜や牛やくまが大好き。こんなふたりが、直接調べに行って、報告しますからね。